古本 説話 集。 国指定文化財等データベース

下略とすると、「まふくた」ができる。 越後国頚城郡人也。 「無事」「達者」また「正気」「気丈」の場合も多く、八割以上は命に別状なかったようだが、怪我を負ったり「相果(あいは)て」て死骸をさらされる悲劇もある。 」 30 とあり、万葉集の編纂に橘諸兄が関係する伝承がある。 9 」とする。 」とする。 大般若などをよむべし、いのりせさするやうにもてなさむと云ふに、したがひてよみつ、又いはく、なほいさ ゝか修行せよ、護身などするやうにて近づくべしといへば、修行にいでたつ、姫君あはれみて、ふぢのはか まを調じてとらす、かたばかまをばみづからぬひつ、是をきて修行しありくほどに、姫君かくれにければ、そ のよしきゝて、道心をおこして偏に極楽を願ひて、たうときひじりにてうせぬ、弟子ども後の事に行基菩薩を 導師に請じたるに、禮盤にのぼりていはく、まぶくだ丸がふぢばかまわれぞぬひしかそのかたばかま、とい ひて、かねうちてことハヽもいはでおりぬ、弟子あやしみてとひければ、亡者智光はかならず往生すべき縁 ありしものゝ、はからざるに世間に貪着して悪道にゆかむとせしかば、わが方便にてかくはこしらへいれた る也となむ有りける、姫君は行基の化身、行基は文殊也、まぶくだ丸は智光なり、智光頼光とて往生した るものは是也、是はかきたることにてもあらず、人の文殊供養しける導師にて仁海僧正のゝたまひける也、 さて、 せりつみしむかしの人もわがごとや心にものゝかなはざりけむ 之いふ歌を詠じて、此歌はこの心をよめる也となむのたまひける、 2 「馬郎婦観音伝説の起源」 パトリシア・フィスター「実相院蔵馬郎婦観音像の名付けの変遷」HP 「馬郎婦は直訳すると「馬氏の息子の妻」という意味である。
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