法隆寺 仏像。 法隆寺

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西面は『』に説く分舎利(釈迦の遺骨の分配)にかかわる場面である。

檜の一木造に彩色。

法隆寺には明治時代初期までは多くの小金銅仏(銅造・金鍍金の小型の仏像)があった。

4センチもあり、ほっそりした体に柔和な顔、華麗な光背の組み合わせが静かな美しさをたたえた立像。

両肘を曲げて腕を前方に向け、中尊に近い側の手は掌を見せ、反対側の手は掌を上に向ける。

前述のとおり、創建法隆寺は670年に火災に遭っており、前述の光背の損傷は、火災時に釈迦三尊像を搬出する際に生じたものではないかと想定する研究者もいる。

2センチ。

内陣には三間の大型厨子があり、聖徳太子及び眷属像(5躯)、像、立像を安置する。

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これらの文字は「銘」ではなく、製作時の覚書程度のものとみられている。

鎌倉・室町時代。

これについて美術史家の町田甲一は次のように答えている。

木造地蔵菩薩半跏像 重要文化財。

この垂飾部は補修が多い。

同書によれば、丑・寅・卯・辰・申・酉の各像は体勢が堅く、動きの少ない点に共通点があり、応永5年(1398年)に西円堂の修理が行われた際に造られた像かとし、戌神像はさらに時代が下るとする。

上座は4面とも山岳を描き、正面には下座と同様、2体の飛天を描く。

ヒノキ材、寄木造。

同じ堂内の釈迦如来像と同じ作者による作品と推定される。

御本尊の「薬師如来坐像」も国宝です。

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